pipipipikopiko’s blog

名古屋のプロダクトデザイナーのブログ。

東京五輪エンブレム盗作問題について補足したい

最近東京オリンピックに関連して、デザイナーという職業に日本中から注目が集まっている。
デザインとはどういう行為で、デザイナーとはどういう職業なのかを世間に知っていただく恰好の機会であったのだが、現実は残念ながら真逆の結果になってしまっている。

新国立競技場の建設費用問題に、東京五輪エンブレムの盗作問題である。

私の見聞きした範囲では、デザイン業界の反応はほとんどが概ねデザイナーおよび建築家に問題はなかったと判断しているようだ。
私ももちろんそう考えている。
それだけに、ネットやニュースにみられる国民の反応に歯がゆい思いを抱いている。

とくに気になるのはエンブレム盗作問題のほうである。
この問題について私ごときが言及したところで何の影響力もない。しかし、現状この問題について交わされている議論および記者会見のコメントをみるに、私が真っ先に説明するべきだと考えている事柄にはいまだ触れられていないようだ。

さて、今回の東京五輪エンブレムはベルギーの劇場のロゴマークやスペインのデザイン事務所の作成した壁紙と似ているのか、そうではないのか。
まず、商標としてはクリアーしているそうなので法的には問題ない(仮に佐野氏が劇場のロゴマークや壁紙を知っていて盗用していたのだとしても)。この点だけでも五輪エンブレムを変更する必要がないことは明白である。
だが、問題として深刻にとらえるべきは、似ているかどうかではなく、盗作したのかどうかのほうである。
デザイナーや芸術家にとって盗作が発覚するということは社会的信用を一気に失う致命傷なのは言うまでもない。
だから、佐野氏も会見ではまず盗作ではないことを一番に主張していた。
佐野氏擁護派のデザイナー達も、プロとして安易な盗作をするようなリスクを冒すはずがないという意見が多数だった。

しかし、こうした主張だけでは本質的な説明にはならないと私は考えている。

誤解を恐れずに言えば、そもそも盗作を絶対にやってはいけないことだと考えているのは、実はデザイナーではなく世間のほうなのではないだろうか。
ゼロからの発想というものは実際にはあり得ない。何かを寄りどころにしたり参考にしたりすることの積み重ねでオリジナルが生まれる。つまり創作と盗作の境界は曖昧であり、それはクリエイター自身がよく知っていることであり、世間が誤解していることなのだ。

そして作品をオリジナルたらしめるもっとも重要なことは文脈である。
極論を言えば、今回の五輪エンブレムが仮にベルギーやスペインのものと全く同じ図案であったとしても問題ないかもしれない。
デザインには必ず課題があり、デザインとはその答えである。違う課題の答えをそっくりそのまま別の課題に当てはめてもうまくいくはずがない。だからそんな無駄なことははじめからしない。
私は、デザイナーが盗作をしない理由はこれが一番ではないかと考えている。
つまり、東京五輪エンブレムと海外の似ているとされる2点の作品は、別々の課題にたまたま似たアプローチで答えたというだけで、やはりそれは全くの別物なのである。いや、仮に海外の作品を知っていたとして、そのアプローチを参考にしたとしてもそれは同じことである。

今回の盗作問題にしろ、新国立競技場の問題にしろ、世間の思っているいわゆる「デザイナー」像というものがあり、それが叩かれているにすぎないと私は感じている。
彼らに大きな非はないのだが、安藤氏や佐野氏をはじめこの問題に関わったデザイン界隈の方々には、本当のデザイナー像をこの機会に世間にしっかりと伝えて欲しかったと私は思っている。