ナチュラルボーン修行僧
一人暮らしをしておよそ10年。
実家に暮らしていたときと一人で暮らしていたときのスタイルの違いに自分の個性が際立つことに気づく。
整理整頓のルール、掃除の頻度、備蓄食料の種類や量などなど…
傾向から分析すると、何事も把握、管理できる規模で留めておきたいという想いが強い。
とにかく適度が良い。精神的忙しさが嫌いなのである。
物をたくさんストックしないし、耐久財もなるべく買わない。管理するのも、捨てるときのことを考えるのも非常に煩わしい。
適切さを重んじると物欲や消費欲といったものが消え去る。
貧乏人(実際そうだが)か修行僧のようである。
そう、まさに修行僧。
だが本人は無理もしていないし、結構これで満足しているのである。
仏教では煩悩を捨てろと言われるそうだが、
実際、欲がないほうが心は豊かなのではないだろうか。
何かが欲しいという気持ちは、つまり足りていない、不幸であるという気持ちでもある。
同じ状態の人が二人いるとして、足りていると思っている人は幸せだし、足りないと思っている人は不幸だ。
幸不幸は相対的な感覚である。
だとすれば、自分の外にあるものではなく、内にある基準と比較したほうがよっぽど楽に幸福を得られる。
しかし、否応にも発展を迫られる資本主義社会では、折り合いをつけるのが難しいのかもしれない。