デザインを評論するときに気をつけたいこと
東京どころか名古屋で消耗しています。
先生をやっているわけでもないのに昔から学生作品に触れる機会が多く、最近も卒展に足しげく通っていました。
そこで気づくのは、学生作品を見てあーだこーだ評価している私もまた年々成長していること、そしてデザインを評価するという行為は実はとても難しいことだということです。
学生作品の中には、社会に何の役にも立たないけどすごい!と思うものがあったりします。
これを役に立たないと言って切り捨てることもできるのですが(ちょっと前の自分ならそれで片付けていたでしょう)、そもそも彼らはそんなことを意図して作品を制作したわけではないことに気づくべきです。
一方、これとは逆の体験として、とある著名デザイナーの活動を知ったとき、すごい(社会的に評価が高い)けど全然興味持てないなという感想しか出てこなかったことがありました。
デザイナーである以上、デザインとしてどうかという視点で評価するのですが、それでも結局のところ観る人の個性、思想に簡単に左右されてしまうものです。
これらの体験を通して、デザインの良し悪しは究極、本人にしか測れないものかもしれないと思うようになりました。
それがたとえクライアントワークであったとしても同じことです。
なぜなら目標を決めたのは本人だし、他人がそのデザインを評価するとき作者と同じ価値観で捉えることは厳密には不可能だからです。
だから、究極的には人に何を言われようが自分が納得したかどうかしかないわけで、ひたすら自分の興味に従って追求していけばいいと思うのです。
そして、評論というのは美術、文芸、映画などジャンルに関わらず、作品を客観視しているつもりが、いつの間にか自分自身のスタンスを客観的に浮き彫りにするものなのだと思います。
さて、ではデザインを指導しなければいけなくなったときはどうすればいいのか?
私は決して野放しが良いとは思えせん。
最初は作品をつくる本人も実は自分が何を意図しているのかわかっていないことが多いです。そこで、本人の潜在的な意図を顕在化させてあげる良き相談役に徹することが重要なのではないかと考えます。